2023年8月26日土曜日

水の王国、その3. ―Kingdom of water, part 3.

Jul. ’23
この雨季の間に、ぜひ会っておきたいと願うターゲットがもう一つ残っている。

そいつは、例年7月中旬頃にどこからともなく現れて、お気に入りのその場にしばらく居続ける。

私は現地の友人に打診し、そいつが現れたら電話をよこしてくれるようお願いしていた。

ところが、7月中旬になっても目撃例はなく、訪問の日取りを決められないでいた。友人曰く、今年は水位の上昇が遅れていて、それで到来も遅れているのではないかとのことだった。

確かに、7月に入ってからは、スコール性の雨は降るものの、モンスーンの勢いは弱まっている印象があり、ヤンゴンでも日差しが数時間続いて湿度が80%を割る日もあった。かなり稀なことだ。

いよいよ7月も下旬となり、私のビザの失効日も近づいてきた。

もう限界。現地の友人には、たとえターゲットに会えなくてもいいので明後日にはそっちに行くからと告げ、旅の支度に取りかかった。

出発の朝、皮肉にも、その日から雨脚が強まり、再び雨季らしくなってきた。生き物にとっては喜ばしいことだが、撮影するほうとしては最悪だ。前日までの日照りと出発日からの豪雨が逆転してくれていればよかったのに、この状態では、カメラセットをいかに水から守るかが最大の命題となってしまう。たとえターゲットに出会えても、カメラが作動してくれなければ、その姿を残すことはできないのだから。

その日からの雨の降り方は、サイクロン起源の長雨パターンのように思え、終日の防水戦を覚悟した。後日ヤンゴンのパソコンで確認したところ、案の定、ベンガル湾の北方で渦が巻いていて、風力は弱いもののサイクロンの目ができていたのだった。

Jul. ’23
その地は、植民地時代にイギリスが築いた土手と水門によってできた広くて浅い大池で、湿地生態系の保護を目的とした自然保護区に指定されている。

民間企業も参入して、一角には宿泊施設や休憩所や遊具も整備され、日帰りでの食事やボートクルージングも楽しめる。電話で連絡を取り合っていたのは、そこのマネージャーである。

亡くなった初代社長とは、開設以前から何度も会っていて、たまたま見た私の写真に「木が必要だ」と呟いたことがあった。それは、水辺の高木の上にクロトキの群れが佇んでいる写真で、それを機に社長は、施設の建設と並行して、早成樹種を中心とする植林も積極的に進めた。

今では、遠くからでも分かるほど施設の一角は緑がこんもりしていて、鳥たちを誘引するプチパラダイスになっている。亡き社長が思い描いていた夢は叶ったのだった。

ここは、国と民間のコラボによる成功例で、コロナ禍もクーデターも乗り越えて営業していることを知った時には安堵したものだ。政府の承認を得ての営業なので事前の許可は必要なく、到着していきなり大池に乗り出すことも可能だ。

私が初めてここを訪ねたのは、まだ宿泊施設もできていない25年も前のことで、なんとか森林局の仮小屋に泊めてもらい、漁師の船や事務所のバイクに乗せてもらって観察に出かけたものだ。

なんと、その当時に出会った旧友が、再びこの保護区に戻ってきていると言う。彼は国家公務員なので、この二十数年の間に各地に転勤しており、その先々でも私たちは偶然に再会している仲だった。

もちろん彼は会いに来てくれて、お互い無事だったことを喜び、近況を話し合い、生き物の情報も教えてもらったが、彼は私には同行せず、観察にはリゾート施設のボートで出かけることになる。公務員の彼と外国人の私。多くは語らなくとも、今はそうすることが一番なのは、お互いに分かっている。

「案内はこいつがする」と、施設で働く若者を紹介されたが、なんか見覚えがあるような…えっ?えー!

なんとなんと、それは彼の息子だった。

親父は保護区事務所に勤め、息子は同じエリアのこのリゾート施設に就職したのだという。子供の頃の彼とは別の地域の官舎で何度か会っていたが、大きくなってますます、顔の輪郭や笑顔や声まで親父に似てきている。

なじみの船長の操舵で、まずは保護区となっている大池を周ったが、繁殖中と思われる水鳥が、びっしり茂った水草の間から見え隠れするという雨季の情景が展開するばかりで、ターゲットは一向に見当たらない。

旧友の息子はと言うと、体のあちこちにタトゥーを入れ、ピアスを刺した今どきの兄ちゃんだが、なかなかどうして。こちらの望みを敏感に察知し、見せることに最善を尽くしてくれている。人は見かけによらぬもの。

結局、大池にはいないと判断し、改めて保護区の外の湿地や集落を訪ねて、観察しながら情報を収集することにした。

大池の土手の外側には広大な低地が延々と続いており、雨季には雨水が滞水して湿地となり、水位が下がってくる頃には稲が植えられ田んぼになる。

ボートを降りて土手を越えたなら、断続的な雨の中、泥沼渡りの行軍が待っている。先頭を行くのは旧友の息子。

彼の親父とは、マングローブ地帯では違法伐採の現場に立ち合い、山岳地帯では大滝を撮りに行こうとバイクに二人乗りし、二人まとめて吹っ飛んだこともある。

今、その息子が私を先導している。最近、こうして旧友の子供世代と新たに巡り合うことがたまにある。思えば長く歩いてきたもんだ。

さっそく、ぬかるんだ土手を登らなければならない。先を行く息子が、私のリュックをよこせと手を差し伸べる。

私は、いったん生活用具をベースキャンプに置いたなら、観察中は、カメラセットや水や救急道具などの最低限の荷物は自分で担ぐようにしており、同行者に持ってもらうとしてもリュックに収まりきらない三脚ぐらいのもので、たいていはポーター役の申し出を丁重にお断りしている。

理由としては、自分自身が衰えたくないというのが一つ。それと、荷物を預かった者転倒でもしてリュックの中の機材が壊れたとしても、その人に弁償を求めるわけにはいかないので、そうなる状況を予め避けたいというのが大きい。

けれどもこの場では、最も大事なカメラセットは既にリュックから取り出して自分の肩に提げている。今はこれだけを全力で死守したほうがいいのではないか…

少し迷った挙げ句、息子の申し出をありがたく受け、リュックを託した。二十数年の時を経て、彼の親父と歩いた時とは、そこだけは変わった。

Jul. ’23
結局、何種類かの水鳥を見つけ、泥の地面にしっかりと足を固定していいショットが撮れはしたものの、肝心のターゲットは発見できなかった。

出発点に戻ると、二手に分かれて集落を中心に聞き取りをしていたリゾートの船長が待ち構えていた。やけにニヤニヤしている。

それもそのはず、彼はとびっきりの情報をゲットしていた。湿地を往来しているボートの船長が、まさに今朝、我々が探しているターゲットを目撃したというのである。

早速その船長に会い、目撃現場に翌朝連れて行ってくれるようお願いをして、残された最後の一日にすべてを賭けることにした。

Jul. ’23
最終日の朝、雨は降ったり止んだり。

前日に村のおやっさん船長が目撃した時刻から逆算してリゾートの船着き場から出航し、境界の土手脇にボートを係留し、土手を越え、保護区の外の湿地のほとりに着いた。

ここからは、一回り小さいおやっさんの愛船に乗り込み出航。前日目撃した地点に向かって直行した。

ボートは水草の群落をかわしつつ軽快に走り、私は波しぶきと雨水をかわそうとビニール袋でカメラをすっぽりと覆う。リゾートから来た三人プラスおやっさんの合計8個の目玉が、右に左に前方に、湿地の彼方まで見通している。

雨季だけに現れる季節限定の湿地とは言え、30分走っても水が途切れる気配はない。とにかく、水路が塞がるまで、船底が着くまで、そしてターゲットが見つかるまでは走ってもらうつもりだ。

岸辺を歩く牛の群れ
A herd of cattle walking on a bank, Jul. ’23
「あそこ、あそこ!」息子が叫んだ。二、三百メートル先の水草の陰に大きな塊。そこから飛び出した長大な2枚の影がゆっさゆっさとうねったかと思うと、塊は水面を何度がホップし、空中に浮上した。いた!この一ヶ月間、消息が気になって心の隅から消えることのなかったターゲット、ペリカンだ。

カメラを向けるいとまもなく、我々のボートから逃げるように、ペリカンはその巨大な頭を向こう向けたまま舞い上がっていった。

せっかく見つけたのに点にしか写らないのかと、しかめっ面の目で追っていると、ペリカンは滑らかに体を傾け、こちらに向かって旋回してきた。幸い雨は上がっている。これが最初で最後かもしれない。

船上でグラグラ揺れる望遠レンズを飛翔体に合わせるのは至難の業だが、あちらから射程に飛び込んでくる状況となった。この機を逃してなるものかと、私はシャッターを押し続けた。

その目まではっきりと見て取れ、一瞬ファインダー越しに目が合ったようにも感じた。風切り羽の抜けた翼が長旅を物語る。

そのままペリカンはまっすぐに羽ばたいて、船では追えない陸地の彼方に消えていった。なめてもらっては困るとばかりに。

待ち望んだターゲットは突然目の前に現れ、あっと言う間に飛び去った。長い滞在期間の最後の最後に、こんな劇的な再会が待っていようとは。ほんの数十秒間のやり取りに、私の心はフワフワのグチャグチャ。胸は高鳴り、頬は緩みっぱなしで、なんか視界も潤んできた。

ホシバシペリカン
Spot-billed Pelican(Pelecanus philippensis), Jul. ’23
ここに来るのはホシバシペリカンで、ペリカンの中では並でも、これまたでかい鳥だ。ワニと言いツルと言い、大きいものばかりを追っているかのようだが、もちろん、小さい生き物も魅力に溢れ、会ってみたいターゲットはいくらでもいる。

けれども、大きいものの消息を探るには、それなりの意義もある。大小の生き物を捕食する大型動物が正常な数でいるということは、その土地の生態系が豊かで安定しているという証拠で、彼らの生息状況が、自然の状態をうかがい知るバロメーターになっている。

さらに、このような人里近くに住む生き物は、その土地の人と生き物の関係性を知るバロメーターでもある。今だからこそ、そこはなおさら気になるのだ。

Jul. ’23
ホシバシペリカンは、世界的には生存を維持できるほどの数が残っているが、ミャンマーでは謎の多い鳥である。

乾期である涼季から暑季にかけては、北のカチン州にある天然の湖、インドージー湖とその周辺で何百羽の個体が集まって休息しているのを、私は現地で確認している。

ところが、雨季に入るといったん彼らはミャンマー全土から姿を消す。国内からの繁殖の報告は途絶えており、巣が見つからない状態が続いている。

そして、たっぷりと降り続いた雨季の中盤に、ここの湿地帯にどこからともなく少数が飛来し、水位の下がる11月頃まで留まり、再びどこへともなく消えていく。

国境を越えて外国の繁殖地から来ているのではないかとも推測されているが、それも十分にあり得る。例えば、二大都市であるヤンゴンからマンダレーまでの距離を、首都ネピドーから全方位に振ってみると、あっさりと数ヶ国に到達してしまう。翼を持ったペリカンが自由に行き来しても何の不思議もない。国境などという形のないものが見えているのは人間だけなのだから。

さらにボートを進めてもらうこと数分、あっさりと二羽目が現れた。けれども今度の一羽はエンジン音により敏感で、ボートの接近を察知しては飛び去り、その着水地点を目で追っては再び接近して、そしてまた逃げられと、結局こちらに頭を向けることなく、最後はやはり、陸地の彼方に消えていった。

客の希望を叶えられた船上にはリラックスムードが漂い、ペリカンは見られたことだし昼は近いし、もう引き返してもいいんじゃないのという空気が流れている。おやっさん船長のスマホまで、呼び出し音が鳴り始めた。いかにも今どきの風景ではある。

電話の相手と用件は分からなかったが、私も流れに逆らうのはやめて、では、ペリカンを探しながら帰りましょうと。

途中、ボートは岸辺に立ち寄り停泊した。理由は分からないが、もう焦ることはない、注油でもエンジンの点検でもなんでもやってもらっていい。

休憩する家畜の水牛
Domestic buffalos taking a rest, Jul. ’23
陸に上がって岸辺の生き物を撮っていると、奥の集落から数名がぞろぞろ歩いてきた。家族連れかもしれない。そしてそのまま、私が借りているおやっさん号に乗り込んだ。

なるほど、停泊の理由がようやく分かった。彼らは今から出かけるところで、我々が帰ろうとしている湿地の基点の集落まで、徒歩より何十倍も速いボートで行こうというわけだ。さっきの電話は、言わば水上タクシーの無線オーダーだったのだ。

行く先は同じだ。ダブルブッキングで客を乗せれるだけ乗せて、おやっさんに稼いでもらったほうが、私としても気が楽だ。

基点の集落に着き、全員ボートを降り、私は支払いを済ませ、じゃあこれで…となりそうな場面だったが、そこは、凝り性のしつっこさが顔を出す。

ヤンゴンに帰るまでにはまだ時間がある。いかにもペリカンらしい水上で佇むシーンがまだ撮れていないからと、午後にもう一度出航できないか尋ねてみた。

息子ガイドもリゾート船長もよくできた仕事人で、私の考えを理解したからには、決してもう十分でしょうとは言わない。ただ、おやっさんだけは浮かない表情だ。聞くと、これまでの経験から午後に見られる自信はなく、たぶん空振りになるだろうとのことだった。

別の用事があるとかではなかったので、見られなくてもいいからと再度のクルーズをお願いした。

いったんリゾートに帰って、いつでもチェックアウトできるよう荷物をまとめ、腹ごしらえを済ませ、最後のクルーズに向かった。空模様は相変わらずで、前方の雨雲がやばい。

Jul. ’23
午後からの作戦は、ペリカンを見つけたら、まだ十分な距離を残した段階でエンジンを切り、竹竿で水底を突っ張りながら距離を詰めてゆくということでクルーの三人にお願いした

だんだん風が強くなってきて、午前よりも大きな雨粒が叩きつけてきた。移動中はそれでもいい。けれども、ターゲットを見つけたときだけは止んでいてほしい。

出現してほしいような今は待ってほしいような複雑な天候と心境の中、おやっさんの予想は大外れ。ペリカンは現れた。

予定通りエンジンは切ってもらったが、竹竿での前進もちょっと待ってもらった。雨が止むのを待ちたいのだ。これにはさすがに、みんなもどかしく思ったようで、いるんだから撮ればいいじゃんと言いたげだった。

電子部品満載の今どきのカメラは、性能は上がっているものの水には弱くなっていて、まともに濡れると電源すら入らなくなる。うまくガードして撮れたとしても、あまりの豪雨だと雨粒が写り込んでしまい、全体が煙に巻かれたような写真にしかならないのだ。

空を見渡し雲が途切れるタイミングを待ったが、雨が上がる気配はなく、帰りのタイムリミットも近づいてきた。スカッとした写真は諦め、ある程度の雨粒が写る状態でも、それがこの季節らしい情景なんだからと気持ちを切り替えて、やや雨脚が弱まったところで撮影を開始した。

エンジン音は立てなかったものの、まだ飛来して間もなく落ち着いていないからか、最後まで、期待したほど距離は詰められなかった。けれども、雨を恨むのはやめよう。この雨こそが、ペリカンを連れてきてくれたようなものなのだから。

Jul. ’23
実は、おやっさんがそれらしき一羽の影を今年初めて見たのは、四日ほど前のことだったと言う。そこから約百時間を経たその日の午後、結局我々は、三羽のペリカンが飛来しているところまで確認できたのだった。まだまだこれから後続がやってくるはず

と言うのも、保護区事務所の旧友によると、昨年には合計羽が確認されたとのことなのだ。これは、コロナ禍以前に私が見た数を上回っており、どうやら、この地に集う小群の規模は、維持できていると見なしてもよさそうだ。

よっぽど水位がしっくりくるのか、保護区の外側のこの湿地帯で多くの時間を過ごし、大池にはたまに行く程度らしい。

ここのペリカンもまた、地域住民との一定の間合いを保ちつつ共存し、ここまで生きながらえていたのだった。

Jul. ’23
その後、サイクロン起源と思われる雨は、出国までの数日間降り続いた。雨季は、新しい命を生み、そして育む季節。動物たちは繁殖に勤しみ、村の周りでは稲を植える。そして、ちょっと里を離れた原野では、樹木の苗木も植えている。

2023年、森林局による自然の保全や森作りの活動は、停止してはいなかった。

森林局によるマングローブ地帯での植林の準備。等間隔で刺した竹棒の脇に苗木を植える。
Being ready to plant tree seedlings by Forest Department in a mangrove area. Seedlings will be planted beside bamboo sticks which are staked at regular intervals, Jun. ’23
植林から二年目のマングローブ林
2 year old mangrove plantation, Jun. ’23
人々から何を言われようと政権がどうあろうと、森林局の職員は、国土と国民への奉仕者であることには違いない。役職に留まることを決めたからには、どうか山河と命を守ることに誇りを持って取り組んでほしい。
森林局による山地での植林の準備
Being ready to plant tree seedlings by Forest Department in a mountainous area, Jun. ’23
他にも、前政権の時から引き継いでいるコミュニティーフォレストリーの制度などを使った地域住民による植林と収穫も、各地で続いている。
民間グループによる植林予定地の整地
Land preparation for tree plantation by a local community, Jun. ’23
残念ながら、現在入ることのできない戦闘状態にある地域や反軍勢力が統制する地域だけは、森や野生生物がどうなっているのか、正しく知ることはできない。

どうかうまく管理し、共存してほしいと、今は当該地域に住む人たちの良心を信じて祈るしかない。

そう、すべての命の源である自然を守るのに、右も左も西も東もない。人種も思想も宗教も越えた人類の存亡を賭けた普遍の課題なのだから。

争いの当事者は言うかもしれない、「自然保護なんて言ってる場合か」と。

逆に、自然が壊れていく様を目の当たりにした当事者は言うだろう、「争いなんかやってる場合か」と。

オオヅル
Sarus Crane(Grus antigone), Jul. ’23
映画産業が傾きかけていた昭和の後期、ちょっと心に引っかかる邦画があった。その名は「ゴジラ対ヘドラ」。いろいろな意味で悪評高い問題作だが、意外にもテーマは一本筋が通っていて、その劇中歌には以下のような一節があった。

「地球の上に誰もいなけりゃ泣くこともできない」

戦争も共栄も、喜びも悲しみも誕生も死別も、すべては地球の上での出来事。地球あっての物種なのだ。

イリエワニ
Salt-water Crocodile(Crocodylus porosus), Jun. ’23
雨が命を育み、やがて実りの季節がやってきて、そしてまた新しい命が生まれる…そんな当たり前の不滅のサイクルが、どうか不滅のままであってほしいと、願わずにはいられなくなってしまった今日この頃である。

 Jul. ’23

2023年8月24日木曜日

水の王国、その2. ―Kingdom of water, part 2.

Jul. ’23
次に私が目指したのは、ミャンマーの穀倉とも言うべき田園地帯だった。

そこでは水上移動ではなく、地元の人たちの目撃談を頼りに車で東奔西走するつもりだ。

まずは、なじみの運転手を3日間予約し、目的地を目指して一路幹線を進む。今はそれが大変で、郡の境界など要所要所で関所が待っている。不審な物体や人物はいないかのセキュリティーチェックが目的で、検査をするのは、銃を持った警官か兵士か、その両方か。合い間には、通行料を徴収する町内の兄ちゃんも。

こちらは窓を開け、マスクも外し、気がすむまで車内を覗かせるのだが、さすがに、命のやり取りをしている者たちの目つきの鋭さは尋常ではない。

パスポートとビザはもちろん、リュックにしまってある望遠レンズをなぜ所持しているのかが分かる文書もたっぷりコピーしてはいるが、たいてい全員の顔を見渡して運転手に二つ三つ質問をして、「行け」で終わる。

彼らと仲良くするつもりはないが、揉めるつもりもない。いやいやワシャ日本人じゃがなどと宣誓したいほどの愛国心もないので、そこはそのまま通してもらおう。人間界のいざこざに構ってる時間はもったいないので。

実際、違法なものを所持しているわけでも怪しいことをしに行くわけでもないので、彼らの「行け」の判断は真っ当だ。

一つ越えればまた一つと、まるで自動車版ハードル走のように現れるゲートをすべてクリアーし、なんとか基点となる田舎町に辿り着いた。ここでもやはり、外国人を泊めてもいい資格を持った宿泊施設に籠もって夜を越すことが、その地にいられる最低条件となる。

まずは道端にいる兄さんたちに声をかけ、いい宿はないかと尋ねてみて、もらった情報をもとに泊まれそうなホテルを訪ねてみた。

二つの有資格ホテルのうち、安いほうに空きがあることが確認できたため、とりあえず夕方のチェックインだけは予告しておいて、いったんその場から立ち去った。日が暮れるまでの間、少しでも長く田園地帯を走ってターゲットを探したいのだ。

道端に建物が連なって目隠しになっている区間はごくわずか。ほとんどの区間では街路樹が並んでいる程度なので、走行しながらでも田園の彼方まで見通せる。

ターゲット出没の可能性が高いのは約70キロの区間。その間を行ったり来たりしながら、眼力勝負で見つけ出すのだ。

エリアに入って30分足らず。一面に広がる青田の海原の中、ニョキッと突き出た異物の小群に目が止まった。遠すぎて輪郭はおぼろげで、逆光で色は分からない。「あれは人じゃないよねえ」。運転手が答える「人じゃない」。

念のためにリュックに入れたままだった望遠レンズを取り出しにかかる。そのセッティングに手間取っている間に、そいつはさらに遠くへ去っていってしまった。正体不明のままだが、人と間違いそうな大きさの飛べる物体であったことは間違いない。

さらに先を行く。「あそこ」今度は運転手が自ら車を停める。

いた!裸眼ではっきり姿形が確認できる距離だ。

その正体は、安否を確かめたかったターゲットの一つ、オオヅルだ。お前たちも生きていてくれたか。

世界一大きくなるツルで、インドにいる亜種が最大とされているが、ミャンマーにいる亜種もなかなかのもの。「人じゃないよねえ?」と言わせるぐらいのサイズ感なのだ。

オオヅル
Sarus Crane(Grus antigone), Jul. ’23
いたのは2羽で、番(つがい)に違いない。彼らの繁殖期もやはり雨季で、このあたりの田園地帯に集まり、広大な湿地のどこか一角に、草を盛り上げて巣を作るのだと言う。

多くの日本人にとって、ツルと聞いて、まず頭に浮かぶのが、北海道のタンチョウではないだろうか。白黒のツートンカラーは、いかにも日本人好みの清潔感があり、ツルは白くて大きな鳥というイメージが、多数派になっているかもしれない。

けれども、鹿児島県の出水平野など西日本に飛来する数種類のツルは、ほぼ灰色っぽくて、どちらかと言うと、暗色系のほうがツルの多数派かもしれない。

オオヅルの全身も、ベースは灰色。灰色とか茶色とかは地味な隠ぺい色といったイメージがあるが、私は、日差しを照り返して羽ばたくカラフトワシの姿をヤンゴン郊外の森で見た時、茶色とはなんと美しい色なんだろうと考えを改めた。サラブレッドの栗毛なども同じかもしれない。レースの趣味はないので間近で見たことはないが。

そして、灰色の美しさを教えてくれたのが、まさに、このオオヅルだった。

Jul. ’23
背の高いツルたちは、それぞれ頭部に特徴があり、種をアピールする目印、ランドマークのようになっている。オオヅルの場合、その柔らかな灰色の体の上には、対象的な真紅の頭が乗っかっている。このコントラストは鮮烈で、灰色は赤を、赤は灰色の美しさを互いに引き立てているかのようだ。

ただ、頭のてっぺんには毛がなく、白っぽい地肌がむき出しになっており、そこだけは、男としてはなんとも痛くていただけない。

Jul. ’23
最初の一群は経験のある私が見つけたが、いったんツルの見え方が分かってからは、運転手の眼力が本領を発揮した。運転をしながらでも数キロ先の人影ツル影も捉えるのである。

「貝を食べてるようだな」と運転手、「いや、脚をもがれたカニかも」と私。ふと気が付くと、望遠レンズを覗く私と裸眼の彼がふつうに対話していた。

スマホの普及などで、これからの世代はどうなっていくか分からないが、ミャンマーの人たちの目のよさには、これまで何度も驚かされたものだ。

Jul. ’23
いかにも繁殖期らしく、2羽でいる場合が最も多くて、広大な田園地帯に散らばって餌を探して散策しているようだった。

Jul. ’23
ここの道も、田舎町と田舎町を結ぶ動脈ではあるのだが、あまりにも田舎すぎで、ツルが出没する約70キロの区間には一つのゲートもなかった。たまたま生息地が郡をまたいでなかったのも幸運だったが、数日間走り回っても通行料の徴収もセキュリティーチェックも一度も受けないなんて、こんな経験、何年ぶりのことだろうか。

道行く人たちも、望遠レンズを珍しがりはしても、どっかに通報するとかいうこともなく、快くツルの情報を教えてくれた。

彼らに教えてもらった朝夕にツルが集まるというポイントに行ってみると、複数の群れが一定の間合いを保ちつつ点在していて、最大8羽から成る群れもいた。

中には、頭部が体と同系の灰色から灰黒色のものもいる。今年誕生したばかりの若鳥だろう。どうやら、既に子育て巣立ちを終えた家族から、順次集まっているようである。

Jul. ’23
以前、8月下旬にこの地を訪ねた時には、何百羽が集結する場面にも出くわしたことがあり、子育ては、ほぼ終わっているようだった。

今回訪れた7月中旬は、ツルにとっては子育て最盛期で適度に散らばっており、その傍ら、人にとっては田植えの最盛期で、土砂降りがあった翌日などは大勢の人たちが田んぼに集まっていた。

その作業グループの多くは、親族と言うより集落単位ではなかろうかというほどの規模で、一列になって一気呵成に手植えを進めていた。庄屋と小作人制度になっているのか、集落全体で田んぼを所有しているのか、個人所有だけど田植えは協同でやっているのか、人々の暮らしぶりも気になるところだ。

Jul. ’23
この地では、そうした農作業をしている人たちの声も届きそうなところで、ツルたちが地面を突っつきながら優雅に散策しているのである。なんという平和な光景だろうか。

Jul. ’23
同じような田園地帯はミャンマーの至る所で見られる。けれどもなぜか、繁殖期のツルが集まる場所は、いくつかの決まった範囲に限られている。

ワニの生息地と違って、ここは保護区でもなんでもない。ただただ田んぼの広がる田舎である。法とか命令とか指導とか関係なく、これは土着の文化の問題で、この地では、ツルを敵視しないという習慣が代々受け継がれているに違いない。

Jul. ’23
とは言え、さすがにあのクーデターを体験したからには、以前のままではいられなくなっているだろうと想像していた。人々の心はすさみ、自暴自棄になり、ツルの巣でも見つけようものなら、卵でも雛でも取って食べてしまうのではないだろうかと。

久しぶりに再訪して自分の目で見て確認できたのは、ここの人々とツルの距離感、たたずまいは、以前と何も変わっていない、ということだった。国がどうこう政治がどうこうの前に、どう生きるかを決めるのは人そのもの、自分自身なんだ。

このご時世に、こんなのどかな時間と空間の中に身を置けるなんて…夢のようなひとときに、なんかジーンと来て、申し訳なさもよぎって溜め息も漏れる。

Jul. ’23
旅を終え、ヤンゴンに帰って現実に戻り、ノートパソコンで撮影結果をチェックしつつ、いつもながらの一喜一憂が始まった。

今回撮ったオオヅルの写真を見ながら、なんか、この色味にはなじみがあり、最近どこかで、もしかしたらこの部屋で、このモニターの中で再々見ていたような気がしてきた…

分かった!大谷選手だ。形は違えど、真紅と灰色のカラーリングがエンゼルスのビジター用ユニフォームにそっくりだ。そうか、彼らは妖精ヅル、大谷ヅルだったか。がんばれエンゼルス、がんばれオオヅル!

せっかくの発見ではあったが、如何せん、野球は世界的にはまだまだマイナースポーツ。ほとんどのミャンマーの人が、大谷選手どころか野球そのものを知らない。

残念ながら、このネタで盛り上がることは、ミャンマーではできそうもない。(つづく)

Jul. ’23


2023年8月22日火曜日

水の王国、その1. ―Kingdom of water, part 1.

Jun. ’23
2023514日、ミャンマー西海岸に猛烈なサイクロン、モカが上陸し、ラカイン州、チン州、サガイン管区、カチン州など国土の西部から北部を通り抜け、大きな被害をもたらした。現地では、今なお多くの方々が不便な暮しを強いられているようだ。

私の記憶している限り、ミャンマーの内陸に大型サイクロンが食い込んできたのは、200853日にエヤワディー管区からヤンゴン管区を直撃して数十万人規模の犠牲者を出したサイクロン・ナルギス以来だ。

ナルギスに比べると、モカはかなり北のほうから進入したため、ヤンゴンでは風の被害はほとんどなかったが、土砂降りは続いたようである。

日本の天気予報でよく見る台風の衛星画像では、台風の目を中心に真っ白い雨雲が巨大な円となって膨らんでいるのが分かる。

雨雲は次々に誕生し、反時計回りの渦となって台風の目に向かって流れているが、特に台風の進路の右側では風雨の勢いが強くて範囲も広がり、台風の中心が沖縄付近にある時点でも、遠く離れた本州で大雨が降り出したりすることがある。

インド洋の台風であるサイクロンがベンガル湾南方に発生した場合、ほとんどが北のバングラデシュのほうに向かって進み、ミャンマーでは、たまに西のラカイン州をかすめるぐらいで、まともに上陸することは稀だ。

けれども、ベンガル湾をゆっくり北上する進路の右側(東側)に位置するのが、まさにミャンマーで、雨雲はかかり続け、雨の影響は全国に及んで長期間の土砂降りに見舞われる、ということがたびたび起こる。

モカが通り過ぎた後の5月後半と言えば、もう、いつ雨季に突入してもおかしくない時期ではあるが、長雨の後は再び晴天となり、ヤンゴンでは気温35度を超える日々が続き、人々は暑季の延長だと判断していた。

日本の気象庁の梅雨入り宣言のようにミャンマーの気象水象局が雨季の突入を宣言するという話は聞いたことないが、それなりの状況が整わなければ、人々は雨季に入ったとは感じないようである。

私は、ヤンゴンには三つの雨が降ると以前説明したが、モンダインと呼ばれるサイクロンの単発の降雨では、どんなに大量でも数日間降り続いても、それだけでは雨季とは判断しない。

http://onishingo.blogspot.com/2018/10/5-exploring-myanmar-nature-part-5.html

太陽は、北回帰線と南回帰線との間を一年かけて往復するが(動いているのは地球のほうだが)、その過程で、ミャンマーの国土の大部分では、日本で言う春分の日から夏至の間と、夏至から秋分の日の間に、太陽が最も接近する。天頂に来るのだ。

特に夏至前の最接近の頃によく降るのがスコール性の雨で、日本の夕立に似ている。なので、夕立の激烈版のようなゲリラ豪雨を「まるで熱帯のようだ」と例えるのは、まさにその通りなのだが、ドバっと降ってカラッと止む豪雨が数日続いたとしても、ミャンマーでは、まだ雨季の到来とは言い難い。

Jun. ’23
人々が雨季だなーと感じるのは、モットンと呼ばれるモンスーン(季節風)が連日押し寄せるようになってからである。

南西の洋上からやって来るモンスーン本体が到達すると、雨が降っていなくとも空はどんよりとしたままで、猛烈に降ったりしょぼしょぼ降ったりを繰り返す。

こうして、時間帯に関係なく雨の波状攻撃が続くようになると、やっと、雨季だなーとつくづく感じるのである。

雨漏りが止まらない築8年のアパート。壁と天井の梁の境目から漏れている
Rain water is continuously leaking from the gap between a wall and a beam at a 8 years old apartment. Jul. ’23
この三つの雨のせいで、半年間はほとんど雨が降らないにもかかわらず、ミャンマーには赤道降雨帯を凌ぐ年間総雨量を記録する地域もできるのである。熱帯モンスーン気候というやつで、熱帯雨林気候から乾期の分を引いた残り、なんて生やさしい雨量では済まないのだ。

ちなみに、山地に囲まれたミャンマー中央部の平地ではモンスーンの影響が弱く、まさに熱帯雨林気候から乾期の分を引いたような雨量になる。サバナ気候というやつだ。

結局、雨の波状攻撃が続くようになってきたのは6月に入ってからのことで、みんなが納得する雨季の始まりは、今年(2023年)は、かなり遅かった。

年によって7月か8月に来る特別な満月の日(2023年は81日)を境に、お坊さんは托鉢をやめ、僧院に籠もって修業をする期間となり、それに合わせるように、庶民も結婚や引っ越しなどはせず、旅行もなるべく控えましょうという習慣があり、雨季が終わった頃の特別な満月の日まで続く。

元々は仏教の世界から始まったことだが、実際、大雨の中の移動や外での作業には危険が多いので、雨季はなるべくひとところに留まらせようとするその教えは理にかなっている。

この雨の季節にわざわざ、私は水で溢れ返る地方を目指した。この三年以上会えていない者たちの消息を知りたくて、我慢の限界が来たのである。

エヤワディーデルタに迫る雨雲
A rain cloud is approaching Ayeyarwady Delta. Jun. ’23
想像もしなかった断絶を突如この世界にもたらしたのは、新型コロナだった。けれども、これだけは自然が相手。地球人が一致団結して乗り越えることに私は同調し、我慢した。

同調しなかった人もいたのは分かっているが、大半の人たちのがんばりで、集団としては人類は難局を乗り越え、今では世界は再び動き出している。一致団結に同調しなかった人が「ほら、自然と治まったじゃないか」と今頃言うのは的外れ、お門違いです。

コロナによる断絶は我慢できる。けれども、追い打ちをかけるように勃発したクーデターによる断絶は余計。不可避の自然現象ではなく人為なのだから。

当初は、コロナの流れのままで、本質が分からない故の自若にも危険故の自粛にも我慢してきたが、いつまで経っても、軍支持だから反軍だから会ってはいけないとか行ってはいけないとか、そういう状況にだんだん違和感を覚え、うんざりしてきた。

あいつは◯◯側だだの、あいつは寝返っただのやかましいわい。かつての友人たちが今どこにいようと、友だちは友だち。その人間性を判断するのは私だ。

国家の状態がどうあろうと、人がいる限り止めてはいけない公共のサービスはあるし、守らなければならないものもある。

政治的には何も解決していないから学問が停滞しても道義的な活動が停止したままでも致し方ないんだなんて、そんな同調圧力が、いかにナンセンスなことか。

今は、ミャンマーに行くこと自体が軍を支持することになるから行くなと言う意見もある。けれども私は、そこまでおとなしくはしていられない。

実際にこの目で確かめなければ、事の本質は何も見えてこない。事実、メディアの報道や人伝ての情報が、真実とどれほどのズレがあるのか、私は滞在を通して実感しているところである。

生涯ミャンマーの国と関わる者は、どんな状況であろうとも、まずは現行の法律は遵守しなければならない。その上で、今は、行けるところから行ってできることからやるしかない。

民間人による森作りのお手伝いなどは昨年から始めているが、自身のライフワークである野生生物を訪ねる旅も、まだまだ制限はあるものの再開することにしたのだった。

まず向かったのは、水辺の生態系の頂点に立つ怪物級の生き物が住むマングローブ地帯。暗くなる前に最寄りの町まで戻ってくることを条件に、一般のツーリストとして日帰り旅行のみ認められるとのことだった。

目的地の自然保護区は、もう管理する者もおらずマングローブ林はズタズタに伐採されているとヤンゴンでは聞いていたのだが、果たして真相やいかに。

数えてみると、私はこの地を二十回訪ねており、サイクロン・ナルギスによって高木層を失ったボロボロの森の惨状を目の当たりにし、そこから徐々に再生してゆく過程を見届け、前年にはあったはずの大きな木がただの切り株に変貌しているような事例も見てきて、まさにその張本人である違法伐採者に遭遇し、その拘束に立ち会ったこともある。昨日今日の発信者からの情報を鵜呑みにする訳にはいかない。

久しぶりの漁港の情景にも航路沿いの風景にも懐かしさが込み上げてくる。携帯電話の中継タワーも、大川をまたいで頭上を渡る道路橋も、川岸に立つ精米工場も昔のまま。

あたりの陸地には大小の川が迷路のように巡っていて、寸断された陸地は、いわゆる中洲になっているが、雨季でも大潮の満潮時でも水没しない安定した中洲は、もはや島として名前も付けられている。

校庭ほどの島から、複数の村を擁するような広大な島まで様々だが、上流から運ばれた土砂が堆積したできた土地なので、小高い丘もなく、一様に平らである。

港を出で2時間近く、見覚えのある平らに長い島影が見えてきた。目的地の島に違いない。

初めてこの地を訪ねたのは30年も前のことだが、そんなのは、巨大な大河の一生の中では昨日のようなもので、中洲と言えども配置は当時から変わっていないのだ。目まぐるしく変わるのは島の土台ではなく表面、地上のほう。

軽快にボートが進むにつれ、モノクロだった島影がだんだん緑色を帯びてきて、横一線だった島の輪郭がギザギザに見えてきた。

とうとう島の北端に到達、3年半ぶりの再訪だ。時間が許す限り、外縁から島の内部に続く水路まで、徹底的にトレースして観察するつもりだ。眼力モニタリングである。

ナルギス以来の惨状に対面する覚悟はしていた私だが、その目に映った久しぶりのマングローブ林の光景は一言で言うと「意外」。最後に訪れた時に比べて、それほど変わっていない印象である。

マヤプシギなどが水際を覆うマングローブ地帯の水路
A natural canal edged with Mangrove trees such as Sonneratia albaetc. Jun. ’23
利用価値の高い樹種だけがピンポイントで抜き伐られ、それほどでもない樹種は大木のまま残っているといった景観で、島の外から侵入してくる地域住民による小規模な違法伐採と植物の再生がせめぎ合っているような以前からあった状況が、今も続いているように感じられたのだった。

簡単には到達できない内陸部の様子を確認していないので軽はずみには断定できないが、少なくとも見通せる範囲では、大規模な伐採があったとは感じなかった。

以前から保護区内に点在していた複数の監視キャップは今もあり、委嘱されたローカル職員一家が常駐し、森林局の保護官が巡回しており、違法者の侵入を抑止する体制は維持されていた。

私が保護区に入ったのは、最寄りの町への到着を関係機関に知らせた翌日のことなので、そんな大がかりな体制が一夜にして取り繕えるわけがなく、間違いなく日常の情景だった。

安否が気になっていたターゲットの情報が監視キャンプの一つから届いたのは、日帰り旅二日目のことだった。午前5時半には宿を出て座席付き自転車タクシー(サイカー)を拾い、波止場の麺屋で朝食を済ませ、6時には出航した。片道2時間強の移動時間がもどかしい。

情報をくれたキャンプが見えてきた。エンジン音を聞いたローカル職員のおやっさんが手作りの木製桟橋の先まで出てきて、川の上手を指差して声を上げた。「まだいる。あっちあっち」。

接岸は後回し。そのままゆっくりと舵を切り、指差す方角を目指す

いた!流木か溶岩のような枕大の塊が、茶色く濁った水に浮いている。

これぞ、3年半越しに会いたかったターゲット、マングローブの主、イリエワニだ。

イリエワニ
Salt-water Crocodile(Crocodylus porosus), Jun. ’23
船長はエンジンを切り、同行の保護官は竹竿で川床を突っ張って静かに船体を前進させ、ワニから50メートル足らずまで距離を詰めたところで泥の浅瀬に竿を突き刺してボートを係留した。

どのような行動に出るか、我々に対する反応はどうか、しばらく観察と撮影を続けてみる。

頭のサイズからの推測で、全長は3メートル前後。世界最大になるイリエワニとしては若いほうだが、既に性成熟はしているはず。積極的に繁殖に参加してもいいものの、数分単位で潜ったり浮上したりを音もなく繰り返し、大きく移動しそうな気配はない。

潮がやや引いている時間帯で、ワニの目の前には泥の岸辺が顔を出している。過去にも何度か上陸を確認したポイントだ。ワニが上陸する目的の一つは、日光を浴びて体温を上げることだが、時期が時期だけに、日光どころか降ったり止んだりを繰り返す空模様である。

曲がりなりにも哺乳類に属する私だが、彼らとの長い付き合いの中で、かなり爬虫類的体内時計にも精神状態にもチェンジできるようになっているつもりだった。

けれども、潜ったり浮いたりだけの繰り返しを1時間以上も見せつけられては、さすがの爬虫類モード中の私も、とうとう根負けしてしまった。

久しぶりの再会はうれしいが、16時前には帰路に着かなければならない。他の個体にも会うべく静かにその場を離れ、入り組んだ水路の奥地を目指して探索を続けた。

結局、数日間の日帰り旅で見られたワニは、この一頭のみだった。

この地では、これまで何百頭のワニを見てきたが、その中に、今回会った一頭もいたかどうかは分からない。けれども、とにかくそいつは生きていた。生きていてくれた。

ここへ来るまでには、絶望的な噂も耳にしていた。無法地帯となった保護区には密猟者が侵入してワニ狩りが横行しており、河口沖の洋上にはワニを買う外国船が停泊している、という内容だったのだ。

クーデター直後の混乱の中なら、それに近いような事例があったと言われても、一概に疑うことはできないだろう。

けれども、近くにいることを認知しているはずの我々とボートに対するあのワニの反応からして、私はワニ狩りが横行したとまでは見ていない。

多くの個体が見られなかった理由としては、前述したように陸に上がって甲羅干しをしたいような天候ではなかったこと、繁殖期なので、メスの成体は水路の深部に入り込んで巣作りや子守りを始めていること、オスの成体は交尾相手を探しながら行動圏を広げるていることなどがあり、個体が拡散する雨季は、そもそもワニの姿は見えづらいのだ。

夜だと、昼間隠れている若い個体が大勢水辺に現れるので、正しい生息密度を測るには好都合だが、全国的に夜間外出禁止令が施行されている現状では、日暮れの後にも活動して監視キャンプや周辺の集落に泊まる許可は、しばらく出そうもない。

保護官によると、以前からなじみだった5メートルを超える大ワニたちも無事で、個体を識別して近況を把握していた。ノーピューとパイテッジョーが殺し合いのけんかをしたとか。

7月後半からは、保護官による巣の分布調査も始まる。出現頻度の上がる乾期には私も再び訪れて、たとえ昼間だけの観察になるとしても、生息状況の実態に迫りたい。飽くまで民間人の訪問として。

Jun. ’23
ワニの健在を確認したならば、並行して対策を講じなければならないのが、地域住民の安全確保だ。

特に雨季には、交尾の準備ができたオスは保護区の外にも泳ぎ出て、乾期に当たる涼季から暑季には魚を中心に捕食していたのが、より多くの栄養が摂れる大型動物を積極的に襲うようになり、人や家畜もメニューに加わってしまう。

以前から私は、せめてワニ被害回避マニュアルだけでも早急に作って地域住民に配布してはどうかと提案しているのだが、クーデター以降、人材と財源が不足する中、実現の可能性はますます遠のきそうだ。

そして、犠牲者が出てしまうと、その度に人々のワニへの憎悪は増してゆくだろう。

政治の混乱は、人の生存にも野生生物の生存にも確実に影響する。(つづく)

2023年7月18日火曜日

真・ジャングルキャンピング、その9. 縄作り(a) 基本形各種 ―The Real Jungle Camping, part 9. Rope-making (a) Various basic types

森にある植物のみで手作りしたロープ各種
Various ropes made of natural plants in forest
最近でこそ、レジ袋などの普及とともにビニール紐も簡単に手に入る世の中になったが、ほんの10年ほど前までは、田舎の人は身近な素材を使って紐類を手作りしていた。

今でも多くの人がその技術を持っており、あえてナイロン製ではなく天然素材のロープを使うべき場面もある。

植物の繊維は、たいてい長くて丈夫なので、細長い草でも急斜面を登る時に命綱代わりに掴まったりすることもあるし、すこぶる長い蔓植物だと、そのままでもロープの代用になる。

そして、捻(ねじ)ったり束ねたりするごとに強度は増していく。

本シリーズの「その4.」で紹介した竹を薄く剥がしたリボンも、束ねればもちろん、より大きな荷重に持ちこたえるようになる。

http://onishingo.blogspot.com/2022/10/4-b-real-jungle-camping-part-4-lodging.html

ただ、竹の場合、硬さが残るので、捻ることには限界があり、精巧なロープ作りには向いていない。

ロープの素材として最も使われているのが、ビルマ語でショー(Shaw)と呼ぶ木である。それは、Sterculia villosaを初めとするアオイ科(旧アオギリ科)ピンポンノキ属(Sterculia spp)の数種類で、地域ごとに自生している種を使っていると思われる。

ちょっと待て!と。硬さにおいては、木材は竹よりも硬くて融通が利かないはずじゃがと。

そこで、ああ、木の皮なら竹よりも柔らかいだろうから、それなら納得だと。

そう思い込んでいたまま、実際に製綱現場を見てみたら、まったく予想外の展開となった。

まず、伐採してきたショーピン(ショーの木)の皮を剥がすには剥がす。けれども、それはそのままほったらかし。皮は使わないのだ。

木の幹を切断した切り株や丸太の断面を見ると、一番外側の木の皮を含む薄い部分が、理科で習った師部という部分で、葉っぱで光合成して作った栄養分の通り道になっている。

その内側に、形成層という細胞分裂して成長する層が薄く一周している。そして、その内側すべてを木部と言って、いわゆる木材の部分に当たる。

その木材の部分は、外側に色の薄い材の部分が輪っか状にあって、その内側全体の円形の部分は、色がより濃くなる傾向があり、樹種によっては赤かったりする。



輪っか状の白っぽい材を日本の製材業界では白太と呼んで林学用語では辺材と呼び、内側の赤っぽい円形の材を赤身、林学では心材と呼んでいる。

https://www.woodtec.co.jp/lab/wood/knowledge/wood4/#:~:text=%E3%80%8C%E5%BF%83%E6%9D%90%E3%80%8D%E3%81%A8%E3%80%8C%E8%BE%BA%E6%9D%90,%E3%82%82%E3%80%81%20%E5%BD%B9%E5%89%B2%E3%81%8C%E7%95%B0%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

辺材の部分は、根っこから吸い上げた水や養分の通り道になっていて、幹が外向きに拡大して太くなるに連れ、内側に蓄積していく辺材は通り道としての役目を終え、硬化して無生物的な心材に変化し、樹体を支える構造物的な役割を担うようになる。朽ち果てるまで。

このうち、まだ辺材の状態にある部分は、心材ほど硬くはなく、とりわけショーの木では、竹など比べ物にならないくらい柔らかいのである。しかも、簡単にはちぎれない。

このショーの辺材を、極力薄く何層も何層も剥がすのだ。

こうして薄く剥がしたショーの辺材のリボンが、あらゆる用途に使われるロープのもとになる。

まず最も簡単に強度を上げる方法が、三本を一セットとして編む方法。特に女性なら多くの人が姉妹や友だちの髪の毛で体験済みの三つ編みだ。

薄くて平らなリボンの状態のままで編み込んでも、ちょっとした平紐のようになり、ショルダーベルトなどに使える。

そして、いよいよ用途に応じて細いのから太いのまで、様々な直径の丸紐を作り出していくのだが、天然素材のショーの辺材から撚り合わせていくので、紐とかロープとか言うよりも、縄とか綱と言ったイメージである。

薄くてヒラヒラしているものでも、タオルを絞るように捻じれば捻るほど円筒状になって強度が増していく。けれども布と違って硬さの残る植物繊維は、そのままでは元のまっすぐで平らな状態に戻ろうとするので、どうにかして捻ったままの状態を維持しなければならない。

そこで、最も基本的な捻り縄の安定型、完成型が、同じ方向に捻ったものを二本準備して、捻ったのとは逆の回転で二本を絡ませながら撚(よ)り上げていく方法である。

逆の回転を加えることで、植物繊維が見事に同じ縦方向に揃ってまっすぐになり安定する。

かつて日本では、農家の人が稲藁(いなわら)を使って二本撚りの縄を作っていて、縄を綯(な)うと言っていた。

この、二本別々の繊維を独立して捻りながら逆方向に撚る作業を、両掌の中で同時に高速でやっていたのだ。今やこの名人芸をできる人は、農家の中でもごく少なくなっているだろうが。

ミャンマーの森人もまた、この、“二本捻りの逆撚り”をやるのだが、素材はもちろんショーの辺材で、使うのは両掌ではなく、片掌と、もう一つは、なんと太腿である。細い紐を綯う際に、特によくやる。これまた高速の名人芸だ。

脚が毛深いと難しそうだが、逆に、再々太腿で綯っていると自然に脱毛されてそうだ。

これぞロープ、これぞ綱、というのが、さらに一本増やして三本で撚り上げる「三つ打ちロープ」と製綱業界で呼ばれるものである。

5メートルの綱を作ろうと思っても、5メートルの藁があるわけではなく、当然、短い藁を継ぎ足し継ぎ足し伸ばしていくことになる。

ショーの場合、10メートルを越える大木もありはするが、わざわざリボンを長くする必要はなく、やはり、短いものを継ぎ足していく。

綱になる三本のそれぞれの繊維の軸を製綱業界ではストランドと言うそうだが、三本別々に準備しなければならないかと言うと、そうではない。

5メートルの綱を作りたければ、継ぎ足し継ぎ足し同じ方向に捻っていく一本の繊維の軸を、その三倍の15メートル以上の長さに伸ばしていけばいいのである。

実際には、後で撚り合わせる分、短くなるので、かなりのプラスアルファを加えた長さにしておく。

そして、長ーい一方向捻りの一本を、三本撚りにした太ーい一本に束ね上げていくのだが、三等分にカットして三つ編みにするわけではない。

まずは、全体の三分の二の長さを使って稲藁の縄と同じく二本撚りの綱に束ねていく。


その二本撚りの縄に、余っている一本分を絡めていって撚り合わせ、最終的に三本撚りの三つ打ちロープにするのである。

元となる繊維の軸の太さを調節することで、綱の太さもどのようにでもできる。

町へ行けば、同じような長さと太さのナイロン製のロープを買うことはできるだろう。もしかしたら、強度や耐久性はそっちのほうが上かもしれない。

けれども、植物繊維で撚った綱のほうが優れている点もある。

ナイロンのロープは、何度も擦れると摩擦熱を帯びてくる。例えば、使役ゾウが身に着ける装具や訓練の時に体を固定するための綱などの場合、激しい動きが続くと、ナイロンロープでは摩擦熱で火傷を負ってしまうかもしれない。

けれども、ショーで撚った綱なら、激しく擦れても、なかなか熱くならないのだそうだ。

ゾウや牛や水牛や馬などの使役動物の体に直接当たるものは、植物繊維や本皮などの天然素材で作ったもののほうが、彼らにとってははるかに優しいのである。


植物繊維の向きがまっすぐに揃っている
Plant fibers are oriented in a straight line.
次回は、いまだに私の頭の中では、その構造と製作過程が3D化できていない究極の製綱技術を、写真をふんだんに使って、できるだけ詳しく紹介します。